もじもじカフェin大阪・人の名づけに使える字

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もじもじカフェin大阪・人の名づけに使える字

もじもじカフェ > 第33回「人の名づけに使える字」参加してきました。今回のもじもじは大阪DTPの勉強部屋との共同開催で、大阪は桃谷の夢家さん。またこの会場が面白すぎる場所なんだ…

こんなんいるし。

タイコ叩いてるのは居るしw

安岡さんの話が面白すぎて、文字っ子ではない私でものめり込んでしまいました。

右が今回の講師、安岡孝一さん(WEBサイト)。左はもじもじカフェ主催の道広勇司さん。

今回の講義は、人名用漢字として戸籍に載せられるものの歴史を、時間を軸に、その経緯や裏話をたっぷり交えて2時間半、みっちり聞かせてもらえました。

印象的なのが、人名=個人のインデクシングについて。先生は「あんまり気持ち悪いのはどうかと思いますけども」と前置きした上で、現代日本では名前で個人を区別するには漢字でなく、読みを工夫するしかないんじゃないかと仰います。少ないし、名前って文字数が。

そう言われてみれば、土地から動くことのできなかった時代は同じ「権太」でも、何々村のどこそこの権太、等で今より遙かに長い識別子が付けられていたんですね。そして小さいコミュニティ内では「権太」だけで済んでいました。今でも、どこそこの家の長男の、嫁の、等と付けられるものと同じですか。

個人という言葉の捉え方、お上の支配構造や「国」の大きさの変化が、日本人の名前に影響している、当たり前ですが先生にこうひもとかれるまではなかなか気づかなかったことでした。

講義ではそういった歴史的な経緯やGHQが云々、○○省が云々、と、規格書だけを見ていては分からない、私達から見れば裏「だった」話をまるで大河ドラマのように聞くことができました。

思いだしたのはこちら。

小形克宏の「文字の海、ビットの舟」――文字コードが私たちに問いかけるもの

規格が形になる前、何がそうさせたのか、どうしてこうなったのか、を語っていて、一気読み必至です。

もう一つ思いだしたのがこちら。

イムリ、とは種族の名で、対外的には自分たちの名の代わりに「イムリ」または「○○のイムリ」と言い、非常に親しい者以外には本当の名を明かさず、外からは名前で区別が、indexingができません。

支配構造の変化に伴い、自分の名を使うようになっていくドラマが今回の講義と重なって「個人」を考える視点からまた読み返すのも面白いと思います。

文字の扱いの歴史を聞くことで、国の形が見えてくる、覆っている殻に触れている気がする…というなかなか得がたい体験ができました。自分の名前の読みが「ちょっと厳しい」ことも分かったし(笑)


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